笑顔のプランナーの理由
- ■高野 貴寛 プロフィール
- 1960年3月10日 横浜市生まれ うお座
外構・エクステリア設計施工。
エクステリアプランナー。
(株)高野 代表取締役
東急建設野村ホーム・相鉄ホーム・旭化成などの建売・個人住宅の外構・エクステリアの施工を25年間携わる。
建売工事は、お客様との接点がないので、個人住宅をメインに切り替えて、地元工務店やハウスメーカーの個人住宅のプランニング・施工の実績を積む。
| ■1960年 | 横浜で生まれ、サラリーマンは向いてないから商売人になると決意高校も厚木商業に入学。卒業まじかで、世界中の国の人達と出会って文化・習慣・歴史を見たいと思い船に乗って実現しようと考え商船学校に入学。卒業時期に就職がなく断念。銀座の天ぷら屋に勤める。 |
|---|---|
| ■1980年 | 父が独立して外構工事の仕事に就くとき、誘われ、物を作る仕事も面白そうだと思い一緒に商売を始める。 創業後、東急ホーム・相鉄ホームの建売の工事を数多く施工 順調に仕事も増えて結婚し子供も4人生まれる。 |
| ■1996年 | 1級土木施工管理技士の資格を所得 |
| ■2001年 | 建築ブロック工事士(国土交通大臣認定)の資格を所得 |
| ■2003年 | デザインコンクリートに巡り合い修業をつみ施工を習得。同業の会社や工務店・商社からも工事なども請け負う。 |
| ■2006年7月7日 | 株式会社 高野を設立代表取締役に就任 |
| ■2008年 | 建築ブロック・エクステリア基幹技能者所得 (高度な作業管理能力を持ち、施工現場での中核的役割を担う能力) |
| ■2009年 | ブロック塀診断士所得 (ブロック塀の耐震度合や補強の適否など、ブロック塀の性能を診断する技術) |
| ■2009年3月 | 訳があって離婚。4人の子供と家族5人の生活になる。 生活も一遍して子供達の食事や進路・家事をやりながらの仕事になる。 昼間仕事をして、帰ってから夕食を作り、かたずけや洗濯を済ましてから、仕事の図面や見積作りの毎日になる。 |
| ■2010年 | 家事と仕事の両立で心身共に疲れはて、体調も崩し、ノイローゼ気味になる。 娘にある時「お父さん我慢しないでよ」と言われフッと「できない物はできないと言って人に頼めばいいんだ。」と気が付く。 素直の自分でありのままでいいんだ。と思いつき笑顔を取り戻してから、お客様・職人・家族に接することが楽しくなり、自分らしさを取り戻すようになった。 |
なぜ、私が笑顔の外構工事店を目指しているのか、その理由をおき聞ください。
私の一番の喜びは、色んなお客様に出会えて、いろんな話ができて、たわいもない話を笑い合い、「ありがとう」と言われることです。
そのためには、笑顔を忘れないこと。自分が笑顔でいればお客さんも職人仲間も、家族も笑顔になり、それでまた私も笑顔になるからです。
ではなぜ、私が笑顔の外構工事店を目指しているのか、その理由をおき聞ください。
学生の時の思い

中学3年の時、普通高に行くなら商業高校に行って簿記を覚えようと思いました。そして3年間の間に若いうちに世界中の国を見て回りたいと思いどうしたらよいかと考え、船に乗ってみようと単純に思いつき商船学校に行きました。
そう思ったのは、世界中の国の人達の習慣や文化・食事など色々見たかったので、船に乗れば給料をもらえて海外に行けるので、好都合と考えました。色々ない人たちと話をして、知り合いをどんどん増やすのも、おもしろそうだと思いました。
しかし卒業のタイミングが悪く、中東の方で戦争があり正社員での雇用がまったくなく、保障も無い状態だったので、あきらめて銀座のてんぷら屋さんに勤めました。これが22歳の時です。
それから2年後の春、父が独立して今の商売を始めて、物を作る仕事もおもしろそうだと思い、一緒にこの仕事を始めました。
■ ■ ■
それから10年位立った時です。
工務店さんから紹介で、「リフォームするので、玄関の階段が古く汚くなってみっともないから、何とかしたい。」と言われたことがありました。
まず、お話をうかがいながらデザインやレイアウトを考えて行きました。
だんだんイメージが、膨らみ、奥さまも納得いく形になり、いよいよ工事です。
お客様の期待にこたえなければと言うプレッシャーを感じながら、古い階段を壊しました。
それから、レンガで階段を作り直して、壁や花壇を作り、仕上げをして完成。
すごくきれいになって奥さまもビックリ大満足でした。
この職種はお客様の生活に密着してとても大切な仕事だと感じるようになり、お客様から「ありがとうございます」と言われるのは、なかなかない仕事だと、やりがいを感じてきました。
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外構工事の仕事を始めて27年目の平成21年3月のことです。
訳があり17年連れ添ってきた妻と別れ、4人の子供は私が引き取ることになりました。
高校入学の長男と、中学入学の次男、小学校5年の三男、小3年の娘と5人の生活が始まりました。
別れたことへのショックと、4人の子供たちの食事や進路のことを見ながらの仕事になり、夕飯を作ってかたずけや洗濯を済まして子供たちが寝静まってから、次の外構工事の図面作りが毎日続くようになりました。机が枕代わりなることもしばしばありました。
工事の現場で疲れ果てた私の顔を見た、職人の仲間が心配し「工事のことなら俺らがやるから。だから今日は家に帰って子供たちの面倒みたらいいよ。」と職人達も気を使って言ってくれました。
私は「本当に申し訳ない」と彼らにこの現場を任せることにしました。
その後、現場に行ったとき、仕事を任せた職人のAさんが怒った顔して言ったのです。
「こんな段取りが悪くっちゃ、仕事できないから、帰るよ!」
えぇ、「俺たちがやるよ。」と言ったのだから、段取りもやってくれるんじゃなかったの・・・
私は「申し訳ない」とAさんに謝りました。結局その現場は後期が遅れ、お客様から「約束が違う」とクレームになってしまいました。
なんで、こんなことになってしまうんだ。
家庭も仕事も私の人生も、もうぐちゃぐちゃ。
なんで俺だけがこんな思いをしなくちゃいけないんだ!
家庭も仕事もすべてを投げ出し、ここから消えようと考えたこともしばしばありました。
心身共に疲れて、ノイローゼ気味になりました。
ある時、娘が「お父さん、がまんばかりしないでよ」
がまん?
俺はそんなにがまんしていたのか
がまん・・・
ありのままの自分でいいんだ!
確かに俺は、妻がいなくなって子育ても家事も学校のことも、図面書きも仕事の段取りも全部、自分でやろうとしてきた。がまんして全部をやろうとしないで、もっと人に頼んでみればいいのか、素直に、できないものは「できない」と言えばいいのか。
そうっか!もっと素直に、ありのままの自分でいいんだ!
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そう気がついた私は、翌日現場に行き職人仲間に、もう一度「面倒かけるけどよろしく頼む。」とお願いをして、素直に話をするようになりました。
子供たちにも家事の協力をお願いするこにしました。
子供たちも「皿洗い、風呂当番などをじゃんけんで順番に担当するよ」と言ってくれて協力的になってくれました。
カッコつけず、ありのままの自分で「これ頼んだよ」と言うようになってから、気持ちがスーッと楽になってきました。
そうしたら「前までやつれた顔しとったけど、笑顔が戻ってきなんじゃないの」と言われるようになりました。
笑顔
言われてみると、笑顔を忘れていた自分に気が付きました。
ありのままの自分でいいんだ
そう思えるようになってから、お客様との距離が縮まるのが早くなった気がします。ありのままの自分でお客様と接していると、お客様も本音で話をしていただけるようになりました。
駐車場のリフォーム工事をさせてただいたAさんは、「どんなふうになるかしんぱいだけどなんとかなるかな。」「大丈夫ですよ。きれいに仕上がりますから」と打ち合わせから会話がスムーズになり。以前よりお客様に喜ばれるようになった気がすると思います。
また「高野さんが一番最初の友達だよ」とか「高野さんに出会って良かった」とも言われるようになりました。
不思議と職人とも子供たちと関わることもストレスがなくなり、みんなで協力し合えるようになったと思います。
笑顔を忘れちゃいけないと気が付き、自分が笑顔になればお客さんも職人仲間も、子供たちも笑顔になるんだと。
そうしたらお客様に出会えることが楽しくなった。色んなお客様に出会えていろんな話ができて、たわいもない話を笑い合い、「ありがとう」と言われるこの仕事は面白いと思えるようになりました。
笑顔を取り戻した自分
この感覚は学生時代、私が船乗りを夢見ていたときと同じ感覚だ。
船乗りになりたかったのは、世界中のいろんな国の人達とであって、色々な人たちと話をして、知り合いたいと思ったからでした。
そうか、俺は今、夢見ていた仕事をやっているんだ。

そう気づいたら、また嬉しくなった気がしました。
笑顔を忘れない。
自分が笑顔になればお客さんも職人仲間も、子供たちも笑顔になり、それでまた私も笑顔になる。
私が笑顔を売る外構工事店を目指している理由がここにあると思いました。
夢を叶えるこの仕事に誘ってくれた親父に感謝して、そして自分の周りにいる仲間やスタッフ・お客様がどんどん増えて来てみんな自分を支えてくれる大切な人達に感謝です。



